28 abril 2008

『ファヴェーラの丘』




昨日、ブラジル映画『ファヴェーラの丘』を観てきた。ブラジル、しかも興味のあるファヴェーラ(スラム街)がテーマになっているので、以前からちょっと気になっていた。



内容説明(『ファヴェーラの丘』公式HP(http://www.favela-movie.com/)より引用):



“家族や多くの友人をギャングや警察に殺されたアンデルソンは、悲しみともに「なぜ憎しみ、殺し合うのか?どうすれば暴力を止められるか」を考え始めた。「音楽は誰の胸にも響く!」ひと筋の光を見いだした元麻薬売人の彼は、仲間とともに『アフロレゲエ』というグループを結成。自らの悲劇を繰り返さないため、ギャングを夢見る子供達を救うため、銃や暴力ではなく音楽やダンスを武器に、ファヴェーラの丘に希望のリズムを響かせていく。”



こんな感じ。。。ブラジルを知ってる人ならなんとなく想像がつくと思う。
そして、想像通りだった。特に気に入ったわけでも、気に入らなかったわけでもない。ただ、大学の授業とか、ブラジルで見たものとか、いろいろ思い出された。



そういえば、ブラジル留学時代に初めて買ったポル語の本の題名は“Favela Fala(ファヴェーラは語る)”だったっけ。。。実はいまだに読み終わってないけど、ブラジルについて初めて見たFavelaが私に与えた衝撃は小さいものではなかった確かだ。


最初の頃は、中産階級のホームステイファミリーや大学の友達に、「ねぇ、Favelaについてどう思う?」なんて聞きまわってた。私が受けた衝撃とは裏腹に、みんなの反応はとても薄かった。「うーん。。。僕らにとっては日常だよ。特に考えたことないな。」そんな反応が多かった。外国人の私がそんな答えになんとなく憤りを感じていたのが、時間の経過とともにいつの間にか私にとってもごく普通のことになってしまっていたことを思い出した。自分も何にもしなかった。傍観者だ。



ブラジルのファヴェーラを描いた映画では『シティ・オブ・ゴッド』が有名だけど、あれは一応フィクションで、ストリー性があった。今回の『ファヴェーラの丘』は、完全ドキュメンタリー。



あそこで生まれた音楽「アフロレゲエ」を楽しみに来た観客にはちょっと物足りなかった感があるかもしれない。でも、私はその方が良かったと思った。だって、大切なのはあの音楽じゃなくて、ファヴェーラの住民から生まれたものがあそこの環境改善のために力を発揮しったってことだと思うから。アンデルソンも映画の中で言ってたけど、別にそれは音楽じゃなくても良いのだ。ダンスかも知れないし、パソコンかもしれないし、写真かもしれない。



私の中に残ったキーワードは「自己表現」。とにかく、自己表現できる何かが必要なようだ。その欲求を満たしてくれるものがギャングの組織だけとなると悪循環に陥る。そこで気づいた。



人間は自己表現したいものなんだ・・・



きっと私はいつも教育の場でいろんな教科を通して自己表現方法を学んでいたんだ。国語では文章を使った自己表現、音楽や美術では創造力を鍛えられていた。いや、社会、理科や数学、全ての授業でも何らかの形で自己表現のヒントをもらっていたんだ、と思った。与えられたもののありがたさには気づかない事が多いんだなぁ。。。



コミュニティーの何かを変えようとする時、傍観者が外から持ち寄ったものは根付かない事が多い。というより、もとより本当に必要なものが入ってくることは少ないのだろう。だから、主人公アンデルソンの様な渦中の人間の必要性から持ち上がって来るものは死なない。それはすごいと思った。まさに理想だと思った。でも、アンデルソンがいなくなりそうになった時、アフロレゲエの活動も止まりそうになった。それはちょっと問題だ。まあそれは映画のせいじゃないけど。



もうひとつ気になったのが、彼らアフロレゲエの活動を支援したアメリカの財団。多くの人の気をひく派手な音楽を自分等の会社の宣伝にうまく利用しただけではないか?と思ってしまった。そんな風にして世界は回っているのか。。。?



何を書こうか決めないままだらだらと書いてしまったが、これが私の正直な感想。



他にもこの映画を観た人がいたら感想聞かせて下さい。



そうそう、ブラジルで成功したリオの警察特殊部隊の暗躍を描いた映画『トロッパ・デ・エリーチ』も早く観たい。こちらはまだ日本公開予定が未定とか!?



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11 abril 2008

アルケミスト

大学の「ラテンアメリカ文学」の授業でブラジル人作家パウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』を読んだことがあった。

正直、あんまり好きになれなかった・・・。

彼の送るメッセージが、既にどこかで聞いたことがあるような内容だった気がしたし、なんだか売るための本だと感じたからだ。

だから、彼の一番有名な作品『アルケミスト』も無理に読もうとはしなかった。

でも最近、私が尊敬している先生おすすめの本だと知ったり、全然違うことをネットで検索していたのに、なぜかこの『アルケミスト』に行きあたったりすることが重なった。

これは誰かが私にこの本を読まそうとしているのか!?と思い、恐る恐る読んでみることにした。

それでもあんまり期待していなかったので、アマゾンで「¥1」にて購入。

通勤電車の中で読むこと数日。。。


ふ~ん・・・ちょっと悔しいけど、想像していたより面白かった。

文体とかストーリーは相変わらずあんまり好みじゃなかったけど、所々、自分の心に突き刺さるフレーズが出てきた。

この本、前に読まなくて良かった、と思った。きっと、働き始めた今だからわかることもある内容だと思った。


例えばこんな言葉達:

「おまえが誰であろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思う時は、その望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるおまえの使命なのだよ。」

「自分の運命を実現することは、人間の唯一の精勤なのだ。すべてのものは一つなんだよ。」

「学ぶ方法は一つしかない。それは行動を通してだ」

「おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心にいってやるがよい。夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ」

「マクトゥーブ」「これがわかるためには、アラブ人に生まれなければならないよ。しかし、おまえの国の言葉で言えば、『それは書かれている』と言うような意味さ」

あぁ、本当はもっとあったけど探し出せない。。。


とにかく、主人公の少年は、自分の心、大いなる魂、前兆に従って、つまり運命に従って、「夢」「幸福」「愛」などについて理解していく。

読んでいてたまにイライラしてしまったのは、私にそれができていないからかもしれない。少年に対する嫉妬!?

最近、運命について考えたり、散歩しながら自分の心と話したりしていたから、ちょっと自分と重なったりもした。いや、たぶん私だけじゃない。この本を読んだ人はみんな自分の人生と重ね合わせて、その時々によって違うメッセージを受け取るんじゃないかなと思った。

きっと私にも色々な前兆が現れてきている時なのかも知れない。

マクトゥーブ・・・・・・


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08 abril 2008

Caminhada...

私、最近、Caminhada(カミニャーダ)を始めました。

ちょっとお肉がやばいので(´;ω;`)

そう!Caminhada(カミニャーダ)とは“ウォーキング”のことですね☆

お昼の休憩時間になったら、

“Vou dar uma caminhada!”
(ヴォウ ダール ウマ カミニャーダ)
「ちょっと歩いて来るねー!」

と言って会社を出て、毎日新しい道を発見しつつ、自分と会話するのが最近の日課になっています。

ところが、大人しく歩いているだけでは満足しない根っからの体育会系の体を持つ私・・・。

OLの格好で普通の道をダッシュしてしまうのです。

もはやCaminhadaではなくCorrida(コヒーダ=ジョギング)です。。。


あとあと、ラテン系のダンスを練習しながら体をひき締めるという一石二鳥な話題のDVDもゲット★

なまりきった体にむちっ(゚Д゚)ゴルァ!!


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