28 novembro 2007

パレード構成  ~パート2~


前回のつづき!

『カーニバル・ブラジル』プロジェクトで参加するウニドス・ダ・ヴィラ・マリア(サンバスクール)のパレードの構成内容をご紹介!!

みなさんもこの旅行に参加することになれば、これらの山車のどこかで踊ることになるんですよ~!!

見るだけじゃない、参加しちゃうカーニバル!人生観変わっちゃうかも!?

さてさて・・・本題に戻りまして、今日は3番目の山車から↓


山車3号:出稼ぎ現象(絶たれた夢)

 ・第16列-ブラジルの地を踏む高貴なお姿:1997年天皇陛下ご来訪
 ・第17列-リベルダデ地区(日本はここにあり)
 ・第18列-チエテ河(チエテ河の再生に参加した日本)
 ・第19列-料理:日々の生活にある日本料理
 ・第20列-年配者への敬意(最も貴重な財産はそのルーツ)
 ・第21列-宗教
 ・第22列-教育(教育は神聖)
 ・第23列-生活様式(祖先の言葉と習慣)
 ・第24列-平和の使者(広島と長崎の悲しい経験の後、日本人は平和の使者となる)






山車4号:和製テクノロジー(ロボット、自動車、二輪車、電化製品など)

 ・第25列-幼文化(アニメ、漫画、ビデオゲーム)
 ・第26列-おりがみ
 ・第27列-マーシャルアーツ
 ・第28列-スポーツ
 ・第29列-農業
 ・第30列-舞踊、演劇、音楽
 ・第31列-千年文化

おわり



どうでしょう?この日系移民の歴史をたどる内容!
かなり細かいところまで突っ込んでいますよね?
これをどこまで表現しきるのか、見ものです!!!

ここは、日本人のみなさんの力にかかっていると言っても過言ではないのでしょうか!?

現在ある自分と日系移民の歴史、ちょっと考えてみませんか?


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♪今年のクリスマスは・・・♪



ド・ブラジルのロゴをクリスマスバージョンにしてみました!
ほらほら↓

気付いてた人いるかな!?

ウェブデザイン担当のルリアが思いつきで作ってくれたものなんですけど、結構気に入っています。
これからも季節ごとにいじっていこうかなぁ!?
さて、近づいてきた今年のクリスマス・・・

ド・ブラジルでも何か新しいことをしたい、ということで、今年は新商品を入荷しました!

その名も『シェステルチキン』☆

パーティーにもってこいの3.2㎏ローストチキンです!

100%ナチュラルな餌で大きく育てられたシェステルチキンはやわらかくジューシー(´∀`*)

オーブンで焼くだけで7~8人分のローストチキンの出来上がり★
今年は一味違ったブラジル風クリスマスを過ごしてみませんか?
※ちなみに6個限定なのでご注文はお早めに!冷凍なのでもちろんクリスマスまでもちますよ!
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22 novembro 2007

パレード構成 “日系移民”




さあ、皆さんも参加できちゃうウニドス・ダ・ヴィラ・マリア(サンバスクール)の今年のテーマは『日本移民100周年』ですが、その具体的な構成はどのようになっているのでしょう!?

今日は、来年のサンパウロカーニバルで披露されるパレードの細かい構成をご紹介します☆
全部で4号まで出てくる山車ですが、今回は第2号まで!




山車1号:笠戸丸、黄金郷を求めて

 ・第1列-第一人者(ブラジル訪問者:若宮丸)
 ・第2列-外交(友好・貿易・船舶航行協定)
 ・第3列-移民の幕開け 根本正と移民の父・水野竜(日本移民歓迎とブラジル国への感謝)
 ・第4列-移民 コーヒー農園の労働者
 ・第5列-約束の土地(植民地と土地所有者)
 ・第6列-綿 ブラジルの綿栽培のパイオニア
 ・第7列-黄金の日本人 金の発掘に携わった数少ない日本人移民者
 ・第8列-黒い太陽(第二次世界大戦の影響で日本人は厳しい規制の時代を迎える)


山車2号:日はまた昇る(ブラジル・日本の国交正常化で平和が戻る。移民50周年を迎える)

  ・第9列-ご来訪 明仁天皇と美智子皇太子妃
  ・第10列-民族の歴史 日本移民博物館開館
  ・第11列-政治 ヤスダ・ファビオ 初めての日系大臣(農相)
  ・第12列-ジャーナリズム オナガ・ヒデオ
  ・第13列-造形美術 マベ・マナブ、オオハケ・トミエ
  ・第14列-文学 ヤマシロ・ジョゼ(日本と移民をテーマにした作品が多数)


『カーニバル・ブラジル』プロジェクトに参加したら、この列のどこかに入ることになります。
自分が日系移民の歴史の一部になることを想像してみて下さい!!!
興奮してきませんか!?


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16 novembro 2007

『日本移民100周年』特集ページ発見!



サンバスクール、ウニドス・ダ・ヴィラ・マリアの今年のサンパウロのカーニバルでのテーマ、

『日本移民100周年』


にちなんで、今日も日系ブラジルじんについて!


同僚の日系ブラジル人が、こんな面白いサイトを紹介してくれました↓
http://www.100anosjapaobrasil.com.br/home/

ポルトガル語のサイトなので、わからない人はごめんなさい(>_<;) でも、上の方にある“GALERIA DE FOTOS”と書いてあるフォトギャラリーを見るだけでも、集団移民開始当時の様子や、苦労していたであろう時代のものから、現在日本に住んでいる日系人の写真までみられます。ぜひアクセスしてみて下さい!!!

ビデオインタビューなんかもあります!
日系人に慣れていない人には不思議な感覚かもしれませんが、顔は全くの日本人なのに、ポルトガル語でしゃべっています。

それから、普通の日系人がそれぞれの人生や家族の人生について語っているコーナーもあり、知らない人なんですけど、なんだか感情移入してしまい、ぐっとくるものがあります。

彼等と一緒に日系移民100周年を祝うパレードを披露できたらどんなに嬉しいでしょう!?

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14 novembro 2007

「さあ行かう一家をあげて南米へ!」




何度も言っていますが、今年のウニドス・ダ・ヴィラ・マリアのテーマは『日本移民100周年』!!

そこで、今日は日系人についてその歴史を追ってみたいと思います。

まず、念のため、日系人って!?という人のために・・・

日系ブラジル人⇒ブラジルに移民として渡った日本人の子孫。ちなみにブラジルは世界最大の日系人居住地。ブラジルには現在約150万人、日本には約31万人の日系ブラジル人が暮らしています。

ここからばーっといきます!長いけど、日系人の歴史が詰まっていますので、ぜひ読んでください!!!
私はいつも日系人家族の生の話を聞いたり、本を読むだけで、その頃の苦しい時期を生き抜いた強い日本人、日系人たちの生活を想像し、涙が止まらなくなります・・・。


「日本人の顔をしているのに、どうして日本語ができないの?」簡単な漢字とひらがなで書いてある看板の文字が読めず、通りを行く人に尋ねると「めがねでも買いなさいよ」と言い返されてしまう、日本人の顔をした外国人―日系ブラジル人。現在、ブラジルの日系人人口の1割以上、31万人が日本に住んでいます。1990年6月の「出入国管理及び難民認定法」の改定に伴い、日系3世までに定住ビザ発行が可能になったことで多くのブラジル人(主に日系人)が「出稼ぎ」目的に来日しました。そして、日本人がやりたがらない3K(きつい・汚い・危険)の人材不足を埋めるという形で「外国人」雇用枠に「日系ブラジル人」が次々と組み込まれていったのです。

ブラジルの日系人の歴史は、1908年6月18日、サントス港に上陸した781名の笠戸丸移民から始まりました。1888年のブラジル黒人奴隷制度廃止によりコーヒー農園で働く労働者が不足した事に対し、それまでヨーロッパ移民(イタリア系・イスパニア系・スラブ系等)によって補っていたものの、その中心ともいえるイタリア系移民の減少に伴い、サンパウロ州政府が日本人の受け入れに踏み切ったのです。

1890年代後半から、日本人導入の契約がサンパウロ州政府と移民斡旋会社により結ばれていましたが、外務省の慎重な態度もあり、現実には至らず、1907年に皇国殖民会社がサンパウロ州政府との間に「日本人移民3千人ヲサンパウロ州ニ輸入スル契約」を締結した事で移民が本格化しました。この契約では「農業者ニシテ農事労働ニ適スル者三人乃至十人ヨリ成ル家族ヲ組織シタル日本移民3千人」と規定され、年齢は「十二歳以上四十五歳マデノ男女ヲ右労働ニ適スルモノト見做ス」とあり、単独者は除外されていました。プラス、5パーセントを限度として非農民も認められていました。

第1回目の募集期間が短かったものの、「コーヒーの木には、金が生る」などのキャッチコピーも利用され、日本各地から移民希望者が集まりました。出身県別で見ると、沖縄が最も多く325人、次いで鹿児島(172人)、熊本(78人)、福島(77人)でした。

しかし、笠戸丸によるブラジル移民第1号がブラジルの耕地に入ってから、1ヶ月経つか経たぬうちに問題が発生したのです。耕地に入った移民の後を追うように視察に衝いた公使館の職員が、様々な耕地でコーヒーの収穫が少ないという移民の苦情に接しています。収入は、皇国殖民会社の予想計算の半分にも満たず、移民たちが収穫の仕事に慣れても、事態はあまり改善されませんでした。これは雇い主側の責任でもなく、この年のコーヒーはひどい不作だったためだといわれています。収穫賃が予想の半分であったのに対し、生活費は予想よりも高く、移民がブラジルに到着して1年3ヵ月後の1909年9月には耕地に残っているのは200人以下でした。多くは、サンパウロ市やサントス市などの都会で働くようになり、アルゼンチンに転住した日本人も160名に上ります。
第1回目の移民が様々な問題を惹起したことに、移民の家族構成を問題視する意見もありました。農民でないものが農民として移民をしただの、本当の家族でないものが家族を構成して行ったので問題が多発したなどと。第1回目の定着率の悪さから、ブラジル側から移民を打ち切られるのでは、と懸念があったものの、2回目以降の定着率は上昇し、1914年までに合計14886人がブラジルに渡航しました。

ところが移民事業も起動に乗ってきた1913年末、サンパウロ州政府は日本側に突如移民契約を解除すると通告し、1914年3月の移民3500名ほどが最後の移民となってしまったのです。1910年代からのヨーロッパ移民増加が理由とされ、ヨーロッパ移民の代行であった日本移民故の契約解除でした。しかし皮肉なことに、1915年7月に第1次世界戦争が勃発し、ヨーロッパ移民が激減、そこにまた日本移民のチャンスが到来しました。その結果、1917年以降4年間で5000人の州政府補助移民を送り出すまでになりました。その後、ブラジル側の援助は打ち切られたものの、日本政府の援助が制度化され、ブラジル移住全盛時代を迎えました。1925年からは移民に対する渡航費の全額補助が行われるようになり、移民会社の取り扱い手数料も日本政府が負担することとなりました。これにより、1934年までに10万人を超える日本人移民がブラジルに渡航したのです。

日本からの最後の移民船がブラジルに到着したのは1973年でしたが、それ以前から移民者の数は年々減少していました。戦後の窮乏生活が終了し、日本が先進国の仲間入りをした事が理由とされています。移民のほとんどは出稼ぎ目的で渡航したものの、低賃金であったことが彼らの自作農への転換と定住を余儀なくさせました。結果的に定住者になったものの、彼らの夢は故郷に錦を飾る事でした。1937年に行われた移民調査で、「永住か帰国か」という質問に対する回等の85パーセントが「帰国」であったといわれていますが、彼らの帰国への希望を最終的に打ち砕いたのは、第二次世界大戦の勃発と日本の敗戦でした。

1900年代初頭、日本はブラジルなどには手も届かないほどの小さな国で、外国との戦争も絶えませんでした。多くの日本人がよりよい生活を求めてブラジルへ移民として渡り、現在では世界でも最大級の日系人社会を形成して成功を収めています。1世の農業面での貢献と2世の各方面にわたる活躍により、ブラジル社会で日本人が確固たる地位を築き上げました。しかし、そこに至るまでの困難は文章ではとても書き表す事のできないものだったでしょう。
現在、来年迎える日本移民100周年記念に向けて様々な活動が行われています。多くの在日ブラジル人問題や、ブラジル日系人社会における諸問題を抱えながらも、これを期にさらなる日伯交流の発展が期待されます。


<参考文献>アケミ・キクムラ=ヤノ 「アメリカ大陸日系人百科事典 写真と絵で見る日系人の歴史」 明石出版鈴木譲二 「日本人出稼ぎ移民」 平凡社


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08 novembro 2007

去年のウニドス・ダ・ヴィラ・マリア♪




記念すべき2008年、サンパウロのカーニバル参加ツアーに協力してくれるエスコーラ・デ・サンバ『ウニドス・ダ・ヴィラ・マリア』の去年のカーニバルの写真です!





去年は準優勝だったウニドス・ダ・ヴィラ・マリア。
今年は“日系移民100周年”という深いテーマを武器に優勝を狙います!!

皆さんもぜひその感動の瞬間を一緒に味わいませんか!?




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06 novembro 2007

カーニバルの採点基準★



さてさて、ブラジルのカーニバルの奥深さを知るために細かい説明をしてきていますが、今日は採点について!

自分が楽しむ、観客に見せる、だけじゃないんです!!

ちゃんと各エスコーラ・デ・サンバの評価が得点で評価されるんです。

では、どんな所に注目すれば良いかというと↓↓↓

【以下、G.R.E.S. LIBERDADEサイト参考】

※採点基準は10項目

① Enredo エンヘード(パレードの筋書き、テーマ)音楽や衣装、装飾物など、パレードのすべてを決める基になる。どんなテーマを選んだか、いかにしてテーマを表現したか、テーマをよく表すことができたか、などが評価される。

② Harmonia アルモニーア(ハーモニー)楽曲の良し悪し、バテリアの演奏、歌、等のすべてを総合した音楽性が評価される。参加者が歌いながらパレードしているかどうかも採点対象に。

③ Evolução エヴォルサォン(進行)パレード全体の進行・盛り上がり。アーラやアレゴリアが滞りなくスムーズに進んで行くこと、及び、参加者の笑顔や躍動感が評価される。

④ Conjunto コンジュント(全体)音楽性・ドラマ性・ヴィジュアル性などのすべてを含めた、パレード全体の調和、総合評価。

⑤ Bateria バテリア(打楽器)管楽器の使用は禁止されていて減点になる。また、リーグによっては、規定人数(トップリーグでは200人)に満たないと減点になることも。

⑥ Samba de Enredo サンバ・ジ・エンヘード(エンヘードのサンバ、テーマ曲)テーマを表現する、カーニバルのためのサンバ(楽曲)。観客の人気度も評価を左右する。

⑦ Fantasias ファンタジア(衣装)

⑧ Alegorias, Adereços  (アレゴリア=山車と装飾)規定台数に満たなくても、規定台数より多く出しても減点となる。

⑨ Comissão de Frente コミサン・ヂ・フレンチ(司会役)規定人数に満たなくても、規定人数より多く出しても減点となる。

➉ Porta-Bandeira e Mestre-Sala ポルタ・バンデイラとメストリ・サラ(2人1組の男女)  上位リーグでは3組ほどのペアが出演するが、採点対象になるのは1組だけ。数百人の打楽器隊につけられる点数と、たった2人1組のポルタ・バンデイラとメストリ・サラに付けられる点数が同じ比重を持つのだから、いかに重要視されているかがわかる。

その他 全裸は禁止、大々的な企業広告を出すことは禁止、審査員に賄賂を渡すことは禁止、パレードの規定時間を厳守すること、など細かな規定があり、これらを守らなくては減点となってしまう。


どうでしょう?結構きびし~って感じがしますが、このポイントを押さえて鑑賞、いやいや、参加したらもっともっとカーニバルが楽しめるのではないでしょうか?
エスコーラによっていろいろ特徴があるので、毎年観ていると自分好みのチームが出てくるかもしれませんね!?


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02 novembro 2007

ニッケイ新聞より♪



ブラジルの日系社会に関するニュースを発信する「ニッケイ新聞」で、“カーニバル・プロジェクト”で一緒に踊らせてくれるサンバスクール『ヴィラ・マリア』の記事を見つけました☆

【以下貼り付け:ニッケイ新聞 2007年10月24日付け】---------------------------

合言葉は「イラッシャイ!」=百周年=サンバチーム「ヴィラ・マリア」=〝ニッポン〟テーマの衣装披露

 カーニバルに「イラッシャイ」――! ブラジル日本移民百周年を来年のカーニバルのテーマにした1954年創立のサンバチーム、「ヴィラ・マリア」(グルッポ・エスペシアル)が20日夜、聖市パルケ・ノーヴォ・ムンド区にある練習場でファンタジアのお披露目を行った。会場にはメンバーら約1000人が集まった。
〃ニッポン〃を基調にした20以上のきらびやかな衣装が登場するたびに会場から大きな拍手が送られた。
「2005年には、もう今回のテーマを決めていた」と話す同エスコーラのパウロ・セルジオ・フェレイラ会長は、「4800人のオーリョ・プッシャードの行進には、みんな驚くと思うよ」
と自信を満面に浮かべ、ニッケイ新聞の取材に答えた。 
「侍の動きとかを映画を見て勉強してるんだ。いつもと違う踊りが出来たら」 そう話すロドリーゴ・ベルセデルさん(18)は、同エスコーラのメストレ・サーラを務めて9年目。
「ブラジルにとって日本は大事な国。100年を一緒に祝いたいね」と笑顔を見せた。
会場には、メンバーらが8時前から続々と集まり始め、ヤキソバや春巻きなどを食べながら、仲間との会話を肴にビールを傾ける。 時間が進むに連れ、ボルテージが上がり、日が変わったころ、ようやくステージがスタート。 
様々なジャンルの踊りや空手の演舞などが披露され、パレード全体の演出を行なうカルナヴァレスコのワグネル・サントスさんが着物姿の腹話術人形片手に演歌に合わせて踊りを披露、笑いを誘った。 
続けて和太鼓グループが打楽器隊の指揮を司るヘピニッキと共にサンバ調で演奏、会場を盛り上げる。 
照明が落とされ、七夕、デカセギ、書道、子供の日、コロノ、マンガ、芸者などテーマにした衣装を着たメンバーがファッションショーのように登場するたび、大きな拍手が送られた。 
アーラ・デ・コンポジトーレスがステージ上で日本を題材にしたテーマ曲を打楽器隊とともに演奏、カーニバルさながらの盛り上がりを見せるなか、会場を訪れた二十代の日本人女性は、「衣装がとても綺麗だった。来年の本番が楽しみです」と笑顔を見せていた。

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どうですか?
この間紹介したパレードのチーム構成(役割)について読んでくれた人には、この記事に出てきた色々な言葉がわかってもらえたと思います◎
わかるともっと興味がわいてきますよね!!

私が気に入ったのは“4800人のオーリョ・プッシャードの行進”のところ!
オーリョ・プシャード(Olho puxado)とは引っぱったように細い日本人の目のこと!!
私もブラジルにいた頃は何回言われ、真似されたことか・・・(^_^;)
最初は嫌だったけど、今はただただ可愛いと思えてしまうこの表現。
日系移民100周年の来年こそ、この細い眼を武器にして日系の歴史を振り返る素晴らしいパレードに参加してしまおうじゃないですか!!!

カーニバルブラジルプロジェクトHP:http://www.carnavalbrasil.jp/





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